2013年3月17日日曜日

【2013/3/16】明日はCTT本番

おはようございます。
「明日は本番」というタイトルなのに本番当日の更新になってしまいました。ご容赦ください。


本番前日の夜7時、いつもの稽古場から歩いて数分の公民館に呼吸らメンバーが集合。
今日の稽古場は「和室2」。大体20畳くらいの決して広くはない空間です。
玄関のようなスペースをはさんで向かいには別の団体が使っている「和室1」があることもあって、「あんまり大きな音は出さない方がよさそうだね…」と言いながら準備していると、その「和室1」から聖歌のようなコーラスが…!!
厳かなBGMに包まれながら、CTT本番に向けた呼吸らの最後の稽古がスタートしました。


この日は本番に向けた最後の稽古でしたが、場所の小ささもあり、本番と同じように芝居をすることはせず、細かく段取りを確認しながら最後の場面をつくっていきました。

今回の上演はひとつのテキスト(福永信『星座から見た地球』)から各々が出したアイディアをセッションさせていくような方法でつくられている(と察してます)ので、みんなの理解を統一してくれる台本がありません。いってみれば全体を把握できるような設計図を持たずに共同作業をしている状態なので、実際のところ各々が自分で何らかのキッカケを見極めて動いたり台詞を言うようにしています。そのため何が飛び出すか読めない面白さがある一方、ウォーリーさんが演出として考えている「ねらい」と出演者の認識にズレが出てきたり、芝居がブレて迷走してしまう可能性も孕んでいます。
最初の段取り確認ではそうした「ズレ」や「ブレ」を摘んでいくように、それぞれが何をキッカケに次のアクションを始めているのか口に出してもらいながら、ウォーリーさんがあらためて場面の「ねらい」や変更を伝えていくかたちで進んでいきます。

一見するとそれぞれが勝手なことをしているように見えなくもない芝居ですが、よくよく見ているといくつかのグループがあって、多層的に舞台を構成しています。それらのグループはひとつの動きや語り、あるいはスキット(=小芝居)のようなものから生成され、おたがいに接触したり干渉したりしながら、気がつくと消えていたり別のグループに変化したりしていきます。
それこそ移り気な「子ども」たちの遊びを見ているような感じですが、ウォーリーさん曰く、枠組みとしては子どもを演じるということについての「研究発表」。なんだか構造がまた複雑になったような印象があるかもしれませんが、実際の稽古を観ていると頭のなかで整理するまでもなく直感的にわかるようになっているから不思議です。

(本日の演出席はアクティングエリアに食い込んでおります)

段取りの確認と変更の作業が進んでいき、いよいよラストシーンを決める段階へ。
さちさん以外の全員が伝さんの語りに合わせて眠りにつき、さちさんがみんなの呼吸音をマイクで拾っていきます。ここでウォーリーさんからさちさんに「伝さんの語りのあとに「子どもを演じてみた本日の感想」をマイクで語ってください」という指示が。「もちろん内容はその回ごとに違ってていいから」とウォーリーさん。「研究発表」という側面をもう一度見せるのがねらいのようです。
突然のオーダーにさちさんがやや困り気味に「今日は子どもを演じるということで……子どもを演じてみました。……」と語り始めると、今度はそのさちさんにちょっかいを出すように伝さんに指示。ますます困るさちさん。
さらに今度は「眠っているみんなの呼吸音が森の音になるようにしてほしい」とオーダー。「森の音……?」と戸惑うみなさんへの説明もそこそこに、菊池さんには「みんなの森の音に合わせてこれを鼻歌でうたってほしい」とiPhoneからシューベルトの『「冬の旅」第一曲「おやすみ」』を再生。(ぜったい和室1のコーラスに影響されたんだ……)とその場の全員に思われながら、ドイツ語歌詞におののく菊池さんに「鼻歌でいいので、とにかくこういうピアノ曲っぽいメロディでお願いします」とフォローを入れるウォーリーさん。こうして静謐な空間に深みが加えられていきました。
そしてラストは暗闇のなかでさえさんが『星座から見た地球』の一編を朗読することに。伝さんが本を持つさえさんの手元を懐中電灯で照らし、読み終わるとともに懐中電灯が消されます。
何ともいえない余韻の残るラストシーンになりました。


その後、カーテンコールから退場までの流れを簡単に決めて、この日の稽古は終了。
机や小道具を片付けたのち、当日のタイムスケジュールやら持ち物やらの連絡があり、そしてウォーリーさんから6月公演やその後に向けたお話がありました。

ウォーリーさんとしては「このクラスでやっているアンサンブル的な手法をもっと練り上げていきたい」とのことで、さしあたり6月に向けては、もっと個別のドラマを立ち上げて、それをアンサンブルにしていくことを考えているそうです。
また、ゆくゆくはいわゆる普通の戯曲(会話劇スタイルのドラマ演劇)に対しても従来のように戯曲の世界を再現するのとはちがうかたちのアプローチを見出していきたいという思いもあり、その作業をこのアクターズラボでやってみたいのだそうです。

僕からざっくり補足をすると、歴史的に演劇は(文学の一部として)戯曲中心に扱われてきました。それこそ演出家という役割が登場したのも実は近代以降のことであって、そこには写真・映画・蓄音器などの視聴覚的な記録技術(=メディア)の発達によって人びとの生活様式やモノの見方・考え方が変化したことの影響が少なからずあります(あくまで演劇に関係する部分についてのざっくりした補足です)。そうした変遷が現代に至ってとんでもないことになっているのはいうまでもないことですが、現代演劇もその変遷に則り、歴史的な戯曲中心のアプローチから脱却して新しい戯曲との付き合い方を探ったり、戯曲の役割自体を見直したり、従来的な戯曲を使わない方法をとってみたり、ダンスや音楽や美術や映像とミックスしてみたりと、いろんな試みがなされています。

かなり専門的といえば専門的な話ですが、本当に「ラボ」という感じがしてワクワクしてきます。

ウォーリーさんは他にも「地域社会と結びついた活動であること、呼吸らという集団が高槻という地域から生まれた劇団だということにもすごく大きな意義がある」というお話もあり、いろんな部分で広がりと可能性のある試みになりそうな予感がします。


とりあえず今日と明日の本番、その片鱗を感じてもらえればと思います。
それでは劇場でお待ちしています!!!




0 件のコメント:

コメントを投稿